2014年9月2日火曜日

夏に開いた恋なのに / Summer Kisses, Winter Tears.


夏に開いた恋なのに / Summer Kisses, Winter Tears.

アメリカ音楽史上最高のアーティスト、エルヴィス・プレスリーがなぜ、アメリカ音楽史上最高のアーティストなのか、彼が残した幾多のギネスが物語っていますが、そんなことを抜きにして、死ぬまで優れた作品を作り続けたその多様性を聴けば納得するでしょう。



夏の口づけ、冬の涙
これがあの娘がくれたもの
思わなかったよ、たった一人で
想し出の小道をたどるとは
幸せな時間、孤独な年月
でも悲しむのはよそう
憶えているよ、あの夏の歌を
冬の雨の間もずっと

* 恋の炎、恋の炎は
離れていても燃えさかる
落ちていく流れ星ほど明々と
夜の闇を照らすものはない
夏の口づけ、冬の涙
いずれ消える星のように
孤独な夜に置き去りの僕
昨日までの夢と一緒に

* くり返し

孤独な夜に置き去りの僕
昨日までの夢と一緒に

夏の口づけ、冬の涙



Summer kisses, winter tears
That was what she gave to me
Never thought l'd travel all alone
The trail of memorles
Happy hours, Ionely years
But I guess I can't complain
For I still recal! the summer song
Through all the winter rain

*The fire of love, the fire of love
Can burn from afar
And nothing can light the dark of the night
Like a falling star
Summer kisses, winter tears
Like the stars may fade away
Leaving me to spend my lonely nights
With dreams of yesterday

*REPEAT

Leaving me to spend my lonely nights
With dreams of ye8terday
Summer kisses, winter tears


<夏に開いた恋なのに / Summer Kisses, Winter Tears.>は、映画「燃える平原児」のラストシーン用の挿入歌として用意されたオリジナル楽曲ですが、最終的に映画には使用されませんでした。映画がウエスタンなので、この曲もカントリーっぽい雰囲気を醸し出しています。1960年8月8日、ハリウッド・ラジオレコーダーズでの収録。

映画「燃える平原児/Flaming Star」は除隊後の活動を模索していた時期の作品で、シリアスなウエスタン。監督は後にクリント・イーストウッドと組んで「ダーティ・ハリー」などヒット作を連発したドン・シーゲル。

エルヴィスは白人の父と先住民の母との間に生まれた息子という設定で、白人の世界からも、先住民族の世界からも、拒絶され行き場のない若者を熱演しています。瀕死の状態で独り、山に入っていくラストシーンが印象的です。



燃える平原児 Flaming Star予告編


しかしこの後に公開された「ブルーハワイ」が映画的にも音楽的にも記録的な大ヒットをしたので、明るく楽しい青春時代がパターン化します。「燃える平原児」はエルヴィスのキャリアでも数少ないシリアスな作品です。

エルヴィスの珍しいガンマン姿は、アンディ・ウォーホルの「8人のエルビス」に使用されています。




音楽事情は、音作りから著作権、興行まで当時と現在では様変わりしています。エコーがかかった音源は、螺旋階段で歌うことで創り出したもので、極めて原始的。

初期の作品を集めた白眉の2枚組アルバム『サンライズ』に至ってはエルヴィスのアコースティックギターと、エレキギターが一本、そしてベースでドラムスはなし。たったこれだけの構成でも、歌が楽器の役割を果たしてあまりある未だに斬新さを失わないロック史上に燦然と輝くアルバムを残しています。

ロック誕生、エルヴィス・プレスリー登場は音楽を越えた社会的な事件であり、死する最後までその責任を一身に背負い生きたという点では、ビートルズでさえ近づくことの出来なかった次元です。

晩年、徹底した大衆芸能的パフォーマンス、何でも歌うというそのスタイルは、エルヴィスの名誉を傷つける結果になりましたが、その生い立ちと母への畏敬の念から発信されたものに他ならず、一晩の解放と興奮を求めてコンサートに来るファンと重なっていました。それこそがエルヴィス・プレスリーという魂の謡人でした。音楽は苦しい生活を癒す生活の糧だったのです。

それはゴスペルに通じるものであり、カントリーソングに通じるものでした。そしてロックはそのミックスから始まっています。つまりエルヴィス・プレスリーその人そのもの、エルヴィスの魂そのものなのです。

エルヴィスと複数のロッカーが切り開いた道に、後からやってきたロッカーたちは、ゴスペルに、ゴスペルから裏返ったブルースに、カントリーに敬意を払う者、払わない者様々です。

あえてエルヴィスに触れないことで、蔑むことで、自身のステータスをあげようとする者もいます。しかしジョン・レノンがいったように「エルヴィスの前には何もなかった」のです。音楽的にも、ビジネス的にも、エルヴィスの前には何もなかった。

エルヴィスの前には何もなかったから、エルヴィスは手探りで進んで行くしかなかったのです。過ちも沢山あります。それを見て、エルヴィスの人生のようになりたくないと思った者もたくさんいます。それも全部含めてエルヴィス・プレスリーなのです。












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